廣田神社は神功皇后摂政元年(201年?368年?)、神功皇后により創建されたとされる。京の西にあることから、かつては「西宮」とも呼ばれた。
神功皇后が三韓征伐凱旋の帰途、武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に大御神の「荒魂」を国土の鎮め、外難の護りとして鎮め祭ったことが始まり。
御利益
国家の守護神、戦勝祈願の社として始まり、平安時代以降は立身出世、和歌の神様、海上交通の守護。現在はスポーツ必勝や合格祈願、交通安全。阪神タイガースが毎年優勝祈願を行なうことでも知られる。
神功皇后
仲哀天皇の皇后。仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる。在位は神功皇后元年10月2日~神功皇后69年4月17日。仲哀天皇9年の翌年が神功皇后元年。
熊襲征伐(仲哀天皇9年3月)
九州南部にあった国・熊襲を征伐。ヤマト政権の全国制覇が実現したとされる。若井敏明『邪馬台国の滅亡』(吉川弘文館)によれば、仲哀天皇9年は西暦367年と推定される。それが正しいとすると、廣田神社の創建は368年となる。
三韓征伐(仲哀天皇9年10月)
神功皇后お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻め降伏させ朝貢を誓わせた。高句麗・百済も朝貢を約束したという。
【出典・参考】
- 『TOKK』2023年1月号
- 廣田神社 公式サイト
- 神功皇后 - Wikipedia