香炉峰の雪と簾

中宮定子と清少納言

大河ドラマ「光る君へ」の第16回「華の影」では(令和6年4月21日放送)、中宮定子が女房のひとり清少納言に「香炉峰の雪」を問いかけたことが話題となった。清少納言は定子の言わんとするところを察してみごと御簾を上げてみせた。

枕草子」の御簾

このエピソードは清少納言枕草子」の282段に書かれている。

枕草子」二八二段

雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして物語などして集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も「さることは知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほこの宮の人にはさべきなめり」と言ふ。

(注)

雪のいと高う降りたる……大雪の日。長徳4(998)年12月10日のことか。劇中では994年であるため史実とは合わない

御格子上げさせて……女官などに格子を上げさせて

御簾を高く上げたれば……自ら簾を巻き上げて鉤に掛けた

枕草子」二八二段(現代語訳)

雪がとても高く降っているので、いつもと違って(早めに)御格子をお下げして、炭櫃(すびつ)に火をおこして(女房たちが)おしゃべりなどして集まり伺候する折に、「少納言よ、香炉峰の雪はどうだろう」と仰せになるので、(女房に)御格子を上げさせて(自ら)御簾を高く上げたところ、(中宮様は)お笑いなさる。女房たちも、「その詩句は知っていて、歌などにしてまで朗唱するが、(簾まで上げるとは)思いも寄らなかった。やはりこの宮にお仕えする人にはふさわしい心掛けであるようだ」と言う。

枕草子 下』(河添房江・津島知明訳注)角川文庫

寒いので格子を下げていたところ、定子が「外の雪景色を見たい」と仰せになるので、清少納言は機転を利かし、格子を上げさせるだけでなく、自ら御簾を巻き上げ、雪景色を見られるようにしたという場面。

寝殿造の建物は外側から囲うように簀子(縁側)、庇、母屋と区切られ、庇と母屋が室内となる。格子は屋内である庇と屋外の簀子の間に設けられるが、格子には紫宸殿清涼殿にみられる「一枚格子」と社寺建築にみられる「二枚格子」の二種類があり、一枚格子は内側に吊り上げる構造で、簾は格子の外にかけられる。二枚格子は、内側に簾があって、その外側に上下二枚の格子を、上方一枚は外側へ吊り上げ、下方は掛金で固定する形で設けられた。

枕草子」二八二段が描くのは定子が住まう登華殿であるから「一枚格子」と思われ、まず清少納言が他の女房に指示して庇側の一枚格子を下から持って天井の方へ吊り上げ、次に清少納言自ら御簾を巻き上げたということになる。

白居易の「香炉峰」の詩

さて、「香炉峰の雪」であるが、白居易の名句「香炉峰下新卜山居」に由来する。

香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁 白居易〈七言律詩〉

 香炉峰下、新たに山居を卜(ぼく)し、草堂初めて成り、偶たま東壁に題す

 

日高睡足猶慵起 日高く睡り足りて猶お起くるに慵(ものう)し

小閣重衾不怕寒 小閣に衾を重ねて寒さを怕(おそ)れず

遺愛寺鐘攲枕聴 遺愛寺の鐘は枕を攲(そばだ)てて聴き

香炉峰雪撥簾看 香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看る

匡廬便是逃名地 匡廬(きょうろ)は便(すなわ)ち是れ名を逃るるの地

司馬仍為送老官 司馬は仍お老いを送るの官為(た)り

心泰身寧是帰処 心泰(やす)く身寧(やす)きは是れ帰する処

故郷何独在長安 故郷何ぞ独り長安にのみ在らんや

(注)

香炉峰……廬山(江西省)の北峰の名。山の形が香炉に似ていることから

遺愛寺……香炉峰の北方にあった寺

撥簾……手で簾をはね上げること。はね上げた簾をそのまま支え持つ姿勢も含まれていると考えられる

匡廬……廬山のこと。匡俗という隠者が昔、廬(いおり)をむすんで住んでいたことから

香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁(現代語訳)

香炉峰のふもとに新しく山居を占って定め、草堂ができあがったばかりのときに、心ゆくまま東壁に書きつけた詩

 

日は高くのぼり、睡眠はもう十分なのだが、まだ起きるのはめんどう。

小さな二階造りの高殿で、重ねたふとんにくるまっていれば、寒さなど感じない。

遺愛寺の鐘が響くと、ちょいと枕をたてにして耳をすまし、

香炉峰の雪は、ふとんの中から簾をはねあげて、しばしながめ入る。

廬山は、俗世間から隠れ住むにふさわしい土地であり、

司馬という閑職も、まあ老人が余生を送るには悪くない。

心がやすらかで身にさわりがなければ、それ以上何を望むことがあろうか。

長安ばかりへ帰りたがるのはおろかなこと、長安だけが故郷ではあるまい。

漢詩鑑賞事典』(石川忠久編)講談社学術文庫

817年、白居易(白楽天)46歳の作。進士に及第し官吏の道を順調に歩んでいた最中、宰相武元衡の暗殺事件が起きたときにものした上奏が越権行為と咎められ、815年、江州(江西省)の司馬に左遷された。そこに滞在していたときの詩である。

左遷の背景には朝廷内部の権力争いもあったようだが、白居易自身の詩作にも原因があったといわれる。白居易が38~39歳の頃から作り始めていた「新楽府」「秦中吟」などの諷諭詩が権力者たちの憎しみを買っていた。

香炉峰~」は太陽が高くのぼっても布団のなかでゴロゴロしている気ままな生活を、出仕しなくてもよい気楽さで、朝廷で仕事している同僚たちにこれ見よがしに、楽しんでいる風である。その裏には、左遷を恨み、長安をうらやむ気持ちも見て取れる。廬山を臨む草堂で過ごす生活をもうひとつの故郷として謳歌しようと自らを鼓舞してもいよう。

枕を攲てる?

なお、「枕を攲(そばだ)てて」の「攲てる」の意味であるが、

  • 「枕をたてにして」(上掲書)

  • 「枕を斜めにずらして」(河田聡美『心を励ます 中国名言・名句』)

  • 「枕に耳をそばだてて」(山田勝美『中国名詩鑑賞事典』)

と訳は少しく異なっている。山田勝美氏は同書のなかで、〈「攲」は「かたむける」の意で、枕をかたむけるとはどうすることか、よくわからないが、要するに枕から耳をはなし、耳を傾けて聞くことか。すると「枕に(耳)攲てて聞く」とでも読むべきか〉と断定はしていない。

故郷を憶う賈島「度桑乾」

同じように長安を憶う詩が賈島(779-843)にある。故郷長安を離れて并州に住むこと10年、さらに遠くへ旅立つことになったときの感慨を詠んだ詩である。

度桑乾 賈島
客舎并州已十霜 客舎并州 已に十霜
歸心日夜憶咸陽 帰心日夜 咸陽を憶う
無端更渡桑乾水 端無く更に渡る 桑乾の水
却望并州是故郷 却って并州を望めば 是故郷

仮住まいも10年住めば故郷と思える親しみを覚えるものであろうか。

「総角」の簾

ところで、白居易の詩「香炉峰~」の頷聯(がんれん)は「枕草子」以外にも引用された。「和漢朗詠集」の「巻下・雑・山家」の部にそのまま掲載されており、「源氏物語」の「総角(あげまき)」の巻でも登場する。

(注)頷聯……律詩において、第3句と第4句のことをいう。ここでは「遺愛寺〜」と「香炉峰〜」の句のこと

源氏物語」「総角」

雪のかきくらし降る日、終日にながめ暮らして、世の人のすさまじきことに言ふなる師走の月夜の、曇りなくさし出でたるを、簾巻き上げて見たまへば、向かひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬと、かすかなる響を聞きて、

おくれじと空ゆく月を慕ふかな

つひに住むべきこの世ならねば

風のいと烈しければ、蔀下ろさせたまふに、四方の山の鏡と見ゆる汀の氷、月影にいとおもしろし。「京の家の限りなくと磨くも、えかうはあらぬはや」とおぼゆ。「わづかに生き出でてものしたまはましかば、もろともに聞こえまし」と思ひつづくるぞ、胸よりあまる心地する。

簾を巻き上げ12月の冷たい月の光を眺め、寺の鐘の音を枕をそばだて聞く。月光に砕ける急流の波が響き、この世のものとは思えない清らかな景色が広がる……そういった意味の文である。

白居易の「香炉峰」と、そして「枕草子」と同じ言葉を借用していることがわかる。この意味でも、これから「源氏物語」が書かれることになろう「光る君へ」での重要なキーワードとなっているのが「香炉峰」なのだ。

白居易の「新楽府」

「光る君へ」の第18回「岐路」では(令和6年5月5日放送)、「新楽府」が登場した。まひろが読みたいと求めた白居易の詩である。

「楽府(がふ)」は、元は漢代の音楽をつかさどる役所のことであったが、のちに楽章(音楽に用いる歌詞)を意味するようになった。歌曲として楽器にあわせて演奏されたという。

「新楽府」とは唐代以後の新しい楽府で、五・七言の絶句で歌われ、従来の楽府は廃れていったためこう呼ばれる。白居易は、楽府は民衆の声を代弁し為政者の参考となるべきであるとの考えのもとに50首の新楽府を作った。その内容は人民の喜怒をうたい、時弊を諷刺するものであった。

今後の展開では、まひろが読み、あるいは道長が学ぶ題材として「新楽府」が再び登場するのかもしれない。

王昌齢「西宮春怨」の簾 

簾は家の外と内を隔てるものであるから、家の中から外の景色を見ようとすれば邪魔になる簾を巻き上げる行為がかならず伴う。そのため季節を感じとる思いを詩情に詠うとき、簾が道具として活躍することが多い。けれどもあえて簾を上げないこともある。外の世界がまぶしく辛く思えるときがそれである。

 

西宮春怨 王昌齢

西宮夜靜百花香 西宮 夜静かにして百花香し

欲捲珠簾春恨長 珠簾を捲かんと欲すれば 春恨長し

斜抱雲和深見月 斜めに雲和を抱きて深く月を見れば

朧朧樹色隱昭陽 朧朧たる樹色 昭陽を隠す

 

西宮春怨 王昌齢(現代語訳)

西宮における春の嘆き

 

西宮の夜は寂しく更け、花の芳香がわが部屋にただよい来る。

その香りに誘われて簾を巻き上げようと思ったが、春の愁いは尽きることなく、とじこもったまま夜をすごす。

雲和の琴に思いを託そうとするが、琴をかき抱き部屋の奥より月光に目がいく、

その月の下、ぼんやりと樹木の蔽うあたりが、今しも歓楽のさなかであろう昭陽宮であるはず。

赤井益久『漢詩をよむ』及び『唐詩選 (下)』(前野直彬注解)

この詩は班婕妤の古事にならったものだ。

 

 

【参考・参照】

  1. 平安時代の貴族の家には壁がない!?屋外と部屋を区切るのはこれだけ | 平安時代ブログ (heian-jidai.com)
  2. 源氏物語の住まい・貴族の生活・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~ (iz2.or.jp)
  3. 枕草子 下』(河添房江・津島知明訳注)角川文庫
  4. 漢詩鑑賞事典』(石川忠久編)講談社学術文庫
  5. 河田聡美『心を励ます 中国名言・名句』幻冬舎文庫
  6. 山田勝美『中国名詩鑑賞事典』角川ソフィア文庫
  7. 源氏物語/総角 - Wikisource
  8. 村上リウ『源氏物語ときがたり』主婦の友社
  9. 赤井益久『漢詩をよむ 漢詩の歳時記【春夏編】』NHKテキスト
  10. 唐詩選 (下)』(前野直彬注解)岩波文庫