三島由紀夫の系譜

平岡定太郎(さだたろう)

1863-1942年

帝国大学法科大学卒業後、内務省に入省。福島県知事などを歴任し、1908(明治41)年、第3代樺太庁長官となる。樺太の工業化を目指し、森林(エゾマツ・トドマツ)や炭田の開発に取り組む。三井物産木材部長の藤原銀次郎(1869-1960)に協力を求め、三井の社長・団琢磨が決断し、事業が開始された。林業、製紙パルプ工業、石炭鉱業、漁業・水産業が勃興していく。1914(大正3)年、公金流用疑惑をかけられ、辞任を余儀なくされる。

仮面の告白」には、<祖父が植民地の長官時代に起った疑獄事件で、部下の罪を引き受けて職を退いて>と書かれている。

 

平岡梓(あずさ)

1894-1976年

農商務省に入省

 

平岡公威(きみたけ)

1925-1970年

東京帝国大学法学部卒業後、大蔵省に入省

 

 

【出典・参考】

・「産経新聞」(令和5年1月4日付朝刊)